●兵庫県南部地震
1995年1月17日午前5時46分52秒に兵庫県南部
(淡路島)で発生したMj7.3、Mw6.9の大地震である。
揺れ始めは下から突き上げるような猛烈な
揺れを感じ揺れが収まるまで15秒程かかった。
震源の深さが16㎞かつ神戸の街の直下で早朝に
発生した地震だったため被害が拡大した。
この当時は耐震基準が不十分だったため
初の震度7を受けて689,776棟もの非常に多数の
家屋が被害を受けた。
(この当時は震度7という階級がなかった)
焼死や家屋の倒壊(パンケーキクラッシュ)
などによる圧死などが多発し
死者数6434名、行方不明者数3名、負傷者43792名
という戦後最悪の被害が発生した。
●大正関東地震
1923年9月1日午前11時58分頃相模湾(諸説あり)
でMj7.9~8.1、Mw7.9~8.2の巨大地震が発生、
関東地方では猛烈な揺れに襲われた。
(小田原などでは震度7級の激震に襲われた)
海溝型地震だったため静岡県熱海市では12mの
大津波を観測した。
揺れは48秒程で収まったがお昼時だったため
各地で大火災が136件ほど発生し
低気圧による南風により火災旋風と呼ばれる火災を
伴ったつむじ風、竜巻が発生した。
隅田川に面する広場では約4万人が避難したが
火災旋風により3万8000人が死亡した。
なかには15㎞離れた市川市まで吹き飛ばされた
遺体もあったと記録されている。
現小田原の根府川駅では地震による土石流により
駅舎、ホームごと列車が海に押し流され100人
以上が死亡した。現在も海底にはホームの残骸が
残されている。
最終的には旧東京市の43%の家屋が焼失し
21万2000棟が焼失、10万9000棟が全壊、
10万5000人以上が死亡または行方不明になった。
●1883年のクラカタウ火山大噴火
1883年8月27日午前10時2分頃インドネシアの
クラカタウ火山で大規模な噴火が発生した。
噴煙は3万8000mまで上昇、4776㎞離れた
ロドリゲス島でも爆音が聞こえたという記録がある
これは増幅も電気的な拡大もされていない自然音が
聞き取れた場所とその発生源との間の距離の
最長記録である。
噴石は音速の2倍程で周辺に飛び散り猛烈な衝撃波
が広範囲に及んだ。この衝撃波を音圧に換算すると
172デシベルという轟音である。
この一連の噴火により165の村が破壊され
3万6417人が死亡した。
しかし死因のほとんどは溺死である。
理由は噴火に伴い火山島が吹き飛び大量の土砂が
海に流入したことによる巨大津波で
最大で30mの津波が村を壊滅させた。
●東北地方太平洋沖地震
2011年3月9日11時45分にMw7.3の大地震が
発生し津波注意報も発令され報道された。
しかし後にわかったことだが、この地震は
東北地方太平洋沖地震の前震だったと見られる。
2011年3月11日午後2時46分18.1秒、
三陸沖(仙台市の東70㎞)でMj8.8、Mw9.0の
超巨大地震が発生した。
因みにMw9.0というのは世界の観測史上4番目に
大きな地震で日本では観測史上1位を記録した。
気象庁松代地震観測所は地震発生から2時間半
おきに、この地震によると見られる5回の表面波を
確認した。地震波は時速14,000 km
(マッハ11相当)で地球上を5周したと見られる。
(プレートがずれ始めた場所つまり震源地は
仙台の東70㎞だが、最終的にずれ動いたのは
岩手県沖から茨城県沖までの南北約500 km
東西約200 km、深さ約5 km - 40 km、
合計約10万平方㎞という超広範囲だった)
この地震では大きな断層破壊が複数発生しており
宮城県沖、宮城県のさらに沖合、茨城県北部沖の
陸に近い部分の順に起こったと考えられる。
このように広範囲にわたってプレートが平均62m
斜め上下方向(↙️↗️)にずれたためにMw9.0という
超巨大地震になった。
発生以前に地震調査研究推進本部(地震本部)は
三陸沖~房総半島沖にかけて
Mt(津波マグニチュード)8.2の巨大地震が
30年以内に20%の確率で発生すると発表していた。
しかしこの予想よりも巨大な規模の地震が発生
してしまった。
東北地方や関東地方の一部では3分以上も
大きな揺れが継続し宮城県栗原市では震度7という
激震を観測した。マグニチュードが巨大だったため
広範囲にわたって震度6弱~強の烈震を観測した。
関東地方の高層ビルなどでは長周期地震動に
襲われ高層階では大きな揺れに見舞われた。
上記の通り3回の大規模な断層破壊があったため
場所によっては3分近い間に複数回大きな揺れに
襲われた事例もみられた。
気象庁マグニチュードは計測結果が迅速に計算
できるという利点があるが超巨大地震になると
計算上モーメントマグニチュード(Mw)よりも
小さく算出されてしまうという性質がある。
このため当初気象庁は地震計の計測より速報値Mj7.9
と予測した。しかし修正が加えられMj8.4になり、
その後Mj8.8と上昇した。後にハワイで観測された
津波よりマグニチュードを算出するとMw9.0という
超巨大地震だったことがわかった。
マグニチュードを過小評価したことにより
大津波警報で「宮城県 6m」と発表していたが
数時間後に修正され「宮城県 10m超」となった。
地震発生後観測史上最大級の巨大津波が東日本沿岸
に押し寄せ福島県相馬港で15時51分9.3mを観測
したがあまりの巨大さに以降観測不能となった。
宮城県大船渡では26.7mという巨大津波を観測し
東北地方太平洋沖地震での最大値になった。
遡上高は大船渡市綾里湾で40.1mを観測した。
宮城県田老地区の高さ10mの防潮堤も巨大津波には
敵わず580mにわたって粉砕された。
釜石港湾口防波堤は全体の7割が破壊されたものの
津波到達を6分程遅らせた。
最終的には561平方kmもの広大な範囲が
浸水した。
東北地方太平洋沖地震による死者のほとんどは
津波による溺死で合計死者数は1万9689人、
行方不明者数は2563人、負傷者6233人という
日本史上最悪の被害をもたらした。
(海外にも津波が到達し2人が死亡している)
●1991年のピナトゥボ火山の噴火
1991年6月15日噴火を繰り返していたピナトゥボ
火山が一連の噴火活動のなかで最大級の噴火を
起こした。このとき台風5号が雨をもたらしていた
ため雨と共にゴルフボールのような噴石が
降り注ぎ13時42分頃に発生した火山性地震で
地震計など計測器が破壊された。
また強烈な空振が相次ぎ火砕流が16㎞も流下した。
火山灰は40㎞まで吹き上げられ地面に積もった
火山灰に台風による雨が染み込んだために
大規模な火山泥流が発生した。
ルソン島では大量の火山灰が空を覆ったため
暗闇が続き雨の染み込んだ湿った火山灰が
雪のように堆積していった。
ベトナム、カンボジア、マレーシアでも降灰が確認
されている。
噴火により山頂が吹き飛ばされ火山の標高が
259m下がった。
家畜約80万頭が死に至り
火山灰による家屋の倒壊により847人が死亡した。
火山灰などの細かなエアロゾルにより約5%の
太陽光が遮られ地球気温は0.4℃下がった。
これにより日本でも冷害が発生した。
●1960年のチリ地震(バルディビア地震)
1960年5月22日午後7時11分14秒に発生した
世界史上最大の超巨大地震である。
ナスカプレートが1000㎞上下方向に10mずれ動いた
ためMw9.5という莫大なエネルギーが発生した。
本震から15分後にチリ沿岸部を18mの巨大津波
が襲い平均時速750kmで伝播した津波は
15時間後に10.5mの津波となりハワイを襲った。
ハワイでは61人が亡くなった。
ハワイ付近の海底構造によりレンズ効果が発生し
日本へ津波が集められたことにより
22時間30分後に三陸海岸を中心に最大6.1mの
津波が押し寄せ日本では142人が亡くなった。
死者数は合計2231人にのぼり太平洋岸は
大きな被害を受けた。
●1976年台風17号(国際名フラン)
トラック諸島北西海上で1976年9月4日午後3時頃
台風17号が発生した。急速に発達し9月4日
910hPaを観測、最大風速60m/s。
9月10日~12日に九州南西海上で停滞したため
猛烈な豪雨を全国にもたらした。
9月13日に長崎市に上陸し秋田県沖合いで
南へと戻り始め温帯低気圧へ変わった。
総雨量1000mm以上を観測した地点が岐阜・
三重・奈良・徳島・香川・愛媛・鹿児島県など
全部で23ヶ所にのぼった。徳島県木頭村日早では
総雨量が2781mmに達し香川県小豆島内海町では
1328mmに達した。
岐阜県長良川では1000㎜を超える豪雨のため
堤防が決壊した。
9月13日9時20分に兵庫県一宮町では
土砂が流出し20分後に泥流した土塊によって
下三方小学校が60m流された。
最終的に合計834億トンの莫大な降雨を日本に
もたらし161人が死亡した。
●9万年前の阿蘇カルデラの破局噴火
阿蘇山を取り囲んでいる阿蘇カルデラは
過去4回大規模な噴火を繰り返している。
過去4回の火山噴出物を合計すると600立法kmで
富士山の山体体積をはるかに上回る。
そのなかでも9万年前の阿蘇カルデラの破局噴火
(ウルトラプリニー式噴火)はAso-4と呼ばれ
凄まじい噴火だったと推定される。
(マグマ噴出量だけで384立法kmと推定される)
火山爆発指数は8で火砕流は高速で放射状に広がり
160㎞離れた山口県秋吉台にまで火砕流が到達
していた。ほぼ九州全体を飲み込んだと
考えられる。火山灰は日本全土に広がり
大量の火山灰が堆積した。
Aso-4は噴出量で比較すれば富士山宝永噴火の
353倍の噴出量である。
●チクシュルーブ隕石の衝突(K-Pgイベント)
6600万年前メキシコユカタン半島に直径10~15㎞
高さ1万m、質量1兆トンもの巨大な隕石が秒速20km
という猛烈なスピードで大気圏に突入した。
衝突エネルギーは4184垓J。
言い換えれば広島型原爆10~70億個分、
人類史上最大威力をもつ水爆ツァーリ・ボンバの
300万倍、現在人類が保有している核兵器を
全て炸裂させたときの100万倍の威力である。
衝突による5000℃程の熱が岩石を気化し閃光が
発生、この閃光を見た生物は失明したと
考えられる。秒速20㎞で衝撃波が伝播し
衝突地点から直径160㎞以内にいた生物は
衝突から数秒以内に即死したと考えられる。
恐らく地球上のどこでも爆音が聞こえ衝撃波を
感じることができるほどだっただろう。
この猛烈なエネルギーにより衝突地点付近では
Mw11.9の超巨大地震が発生した。
この地震により地下のマントルに刺激が伝わり
当時活火山が多数存在したデカン高原において
大噴火が相次ぎ火山灰により気象が変化したと
考えられている。
ほかにもMw11.9の超巨大地震により世界中で
地震が相次いで発生し自然津波も発生した。
チクシュルーブ隕石が衝突した地点は浅い海で
衝突により何十億リットルもの海水が放射状に
押し出され推定300mの超巨大津波が発生した
とされている。このときには既に直径160㎞
深さ30㎞のクレーターが形成され
しばらくすると、そのクレーターに大量の海水が
逆流(流入)しクレーターの中心でぶつかり合う。
これにより発生する水柱は推定高さ40㎞という
凄まじいもので水柱が崩れ海に落下してくると
再び巨大津波が発生するという。
メキシコ湾岸では内陸300㎞まで津波が到達し
大西洋岸では複数回にわたって津波が到達したと
考えられる。
衝突により砕け散った直径数十~数百mほどの
地球の破片、隕石の破片のほとんどは宇宙に
弾き飛ばされるが1時間ほどで再び落下してくる。
これらが隕石となり世界中に降り注いだだろう。
また短時間に多数の隕石やチリが大気圏を
通過したため数千℃の熱パルスが発生した。
例えるなら地球が電子レンジのなかにあるような
ものだ。地球上の森林は燃え、生物は肺や皮膚が
焦げたと考えられる。
そして砕け散った細かな破片はチリとなって
大気中を長年漂い太陽光を遮り急激な寒冷化が
進んだとみられる。
これにより植物は光合成をできなくなり
必然的に陸上動物は死に絶えた。
最終的には北アメリカの植物種の79%が絶滅、
地球上の生物種の75%が絶滅した。
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